出会いの墓地 ベトニオロ ボタルガ
夢で何度も出てくる光景がある。
荒涼とした砂地を掘削したような谷の底に工場のような建物が1軒。
それを崖上からぼくは、砂むす強風を浴びて白くなりつつ 茫洋と眺めていた。
この谷を下りて、ぼくは「あそこ」へ行かなきゃいけないんだ。
悲壮な覚悟のようなものを生唾と一緒に呑み込んで、乾いた寂寞と手を取り 踊るような、複雑な心地。
夢で抱く心象は、大抵 春の氷河みたいにナイーブ過ぎて、いつもぼくはそれに名前をつけることが出来ないでいる。
朝、その夢から目覚めるたび 指の間から何かを溢してしまったような「取り返しのつかなさ」に蹂躙されて、布団の上で、ぼくは泣いた。
みんな、ごめんよ ってうわずって、泣いた。
「ようこそ 出会いの墓地 ベトニオロ ボタルガ へ」
荒涼とした砂地を掘削したような谷の底に工場のような建物が1軒。
そこへ繋がってゆく1本の細い道の入り口には、華奢なゲートが建てつけられていて、頭上のアーチにはそんなメッセージがあった。
悲壮な覚悟のようなものを生唾と一緒に呑み込んでしまうのは、ここを降りたらもう二度と「元の世界に戻ってこれないんだ」ということに、ぼくが感づいているからだと思ってる。
でも、夢の中でぼくはいっつも、半泣きになりながらそのゲートをくぐった。
建物の中からは誰のものか、かすかに歌声が漏れて それは風に乗って、ぼくの耳に届く。
らららららん らーい と
この谷を下りて、ぼくは「あそこ」へ行かなきゃいけないんだ。
乾き とか 飢え とか 寂しさ とか。
谷を下りる間に、いろんなものの枯渇感が襲ってくる。
でも、あそこにさえ行けば そんなことをその都度 思った。
全身がそばだつようなうすら寒さはずっと感じているけど、あの建物の中には、恐怖と同じくらいの安心もまたあるようにぼくには思われた。
多分 三途の川を渡るとき(があったとすれば)、これと同質の感情を抱くような そんな気がする。
この世を去って、死者の世界に行く恐怖、でもあの先にはじいちゃんばあちゃん、水子だったねえちゃんもああ、すっかり素敵な女性になって!
そこに駆け寄れば、温かい抱擁が きっとあるんだろう。
でも、そう。そこに漂っていたのは、まぎれもなく、死の香りだと確信してしまう。
らららららん らーい と かすかに歌声がした。
その建物に近づくに連れて、歌声ははっきりとしたものになってくる。
谷底
疲れはなかった。
建物を目の前にした時には、歌声は止んでいる。
ただ ひゅう と おそろしく乾いた風の音がこだまするだけで
おぞけだった。来るべきではなかった? ーいや、そんなこと。
小さいころ、長野県のある町と、東京都内の地下鉄車内に猛毒の液体「サリン」が撒かれるという事件があった。カルト教団がメディアに取り沙汰され、あれやこれやののち マスコミの記者たちは、その教祖が潜伏しているとされる場所に連日 群がっては「すわ今日こそやか、来たるXデー!」と色めきだっていて。
そこで銃口のように向けられたカメラに捉えられた「サティアン」と呼ばれる工場のような施設。
不謹慎な比喩は自粛した方がいい? でも、夢の中でぼくが目にしていた建物はまさしく、幼い頃の記憶に描かれた、そんな色かたちをしていた。
ドアはひとつ。
その規模の建物にしては小さくて。そこを開けやる勇気が持てないでいるぼくは、その手前にぽつねんと立つ、錆びついた掲示板を眺める。
そこに貼られたものは、軒並み 今まで見たことのないような言語で書かれていて、「見てはいけないもの」を見てしまった恐ろしさにすぐ視線を逸らしそうになった。
でも、ふと目を留める。
1枚だけ日本語で書かれた紙があって。
そこにはこう書かれていた。
ようこそ 出会いの墓地 ベトニオロ ボタルガ へ
彼らは この先の人生で もう二度とあなたと 出会うことはありません
抱擁! 握手! 見送ってください 彼らの あなたの中の 死!
もう、引き返せないところまで、来ていた。
ドアを開ける。1階は地下のフロアと併せての吹き抜けになっていて、その建物に入るなり、広がる地下の広いホールのような大部屋を 剥がれかけた柵越しに見渡すようなかたちになった。でもそこに通じる階段は、何故か 無い。
そのホールにいた、何百、何千もの人びとが、一斉に 入り口で足をすくませるぼくを見上げる。
彼らはみんな、ぼくが今までの人生で出会った人たちだった。
「そんな……」
昔の恋人。友人。バイト先の先輩。顔だけしか覚えてない人。ああ、たしかあの時の…
みんなが ぼくに手を振った。
彼らは この先の人生で もう二度とあなたと 出会うことはありません
抱擁! 握手! 見送ってください 彼らの あなたの中の 死!
ぼくの立っている場所は、ただ柵に囲まれているだけで。
彼らのもとに行くことは 出来ない。
ただ、泣いて、ごめんよ、ごめんよって泣いて、手を振る彼らの姿が涙で滲んで見えなくなる。もうこの先の人生で、あの人たちに会うことは無いのかって
もう二度と会うことがないともしわかっていたら
最期にかわした挨拶とか 言葉とか 目をちゃんと合わせていればとか
いくらでももっとこう あるのに
なんて後悔をせせら笑うように 「さよなら」 がたたみかけられる
そんな夢を 折に触れては見ていた。
その光景は、原体験のように、自分の心の石室のようなところに居て、
ぼくは今もそれを追い払えずにいる。